富山県青年・女性漁業者交流大会

 平成13年11月26日、富山市の高志会館において第6回富山県青年・女性漁業者交流大会が開催されました。この大会は、水産業改良普及事業の一環として行っているものであり、漁協青年部と漁協婦人部の日頃の活動成果を発表する場所でもあります。その他に研修会として「水産物の衛生管理」についての講演会も開催されました。

 活動実績発表では、当組合青年部の阿部光喜さんが「Iターン者が見た漁業」−氷見定置網漁業体験記−という題で発表されました。その内容をこれからご報告したいと思います。



Iターン者が見た漁業
― 氷見定置網漁業体験記 ―
氷見漁協青年部
阿部光喜
1.地域と漁業の概要
 漁業の町、氷見市は、富山県の北西部に位置し、能登半島に抱かれ海岸線は約20kmあり、前浜の漁場は、富山湾沿岸では比較的広く大陸棚が広がっている。氷見市から海の向こうに3,000m級の北アルプス立山連峰が一望でき、素晴らしい景観を有している。

 氷見漁協は、正組合員が1,733名、漁業経営体数は283経営体の大規模な組織で、定置漁業を中心に八艘張・刺網・地引網などの漁業が営まれ、四季を通じて豊かな海の幸に恵まれ、2000年度の漁獲量は、14,141トン、金額で54億4,500万円と県内1位の水揚げである。


2.漁業者になるまでの経緯
 1997年夏、氷見市は漁協と協力して漁業体験教室を開催し、キミも漁師にならないか!“というキャッチフレーズで、この年初めて県外の社会人へも募集をした。これは漁業者の高齢化が進み、世代交代の時期にきているためである(図1)。
現在氷見市には6名のIターン者が漁業に従事している。皆漁業体験教室の参加者である(表1)。参加動機としては、自然と接して暮らす、海が好き、漁業に興味があるなどが挙げられる。

 私の場合、東京で13年間民間の国際協力団体に勤め、貧しい人々の教育、栄養支援などに携わってきたがしかし、国際協力の方向性について団体の方針と自分の信条との間にギャップを感じ、転職を決意した。そして“自然と共に歩む生き方をしてみたい”との思いから、農林漁業の中で一番自分の性格にあった漁業を選んだ。漁師として勤まるかどうか大きな不安があったが、たまたま見た雑誌に漁業体験教室の募集が載っていたので、すぐに申し込んだ。体験教室後、もう一度、冬の海を経験させてもらい、ある程度の自信をもったので、転職した。


3.実践活動の状況
 現在、氷見市では、6名のIターン者がおり、中・小型の定置網漁業に従事している。短い人で1年余り、長い人で、4年以上働いている。2ヶ月前にはもう1人いたが、残念ながら辞めていった。

 就業当初は皆言葉の問題で苦労した。漁師言葉、方言、漁具の名前、網の呼び名などが判らず、ただおろおろすることが多くあった。「おまえは何人だ?日本人か?」と言われ、「あんたの言葉がわからないだけだよ」と言ってやりたい気持ちをぐっと抑えた者もあった。また私たちIターン者は“旅の人(富山の方言で、よそから来た人の意)なので、海のものか、川のものかもわからない奴でいつまで続くことかと思われていたと思う。なかなか名前を覚えてもらえず、「おい、東京の」、「なんやら」、「あんちゃん」などと呼ばれ続けた。さすがに1年もするとちゃんと名前で呼んでもらえた。

 移住してくる者にとり、特に家族持ちにとって、家の問題は大きい。現在、多くの県でIターン、Uターン者を募集している。そして様々な支援サービスが提供されている。氷見市の場合は支援サービスがあまり充実してないといえる。移住を決意したが、家がない、また適切な支援がない為、諦めてしまうこともある。

 漁師になりに来た夫は、自分が選んだ道なので、多少の不満があってもがんばる。しかし、妻や子どもたちは知らない土地で、慣れない生活に一番苦労する。漁師には漁があれば、「かぶす」と呼ばれる魚の分け前がある。それを家でさばく妻は、今まで切身でしか魚を買ったことがない為、毎日悪戦苦闘する。「こんなに台所に立ちっぱなしになるとは思わなかった。」「もっとのんびりした時間があると思った」と理想と現実のギャップを感じている。またこの地で出産した人は、「ご近所一帯から出産祝いをいただいて、あわててお祝い返しを買いに走り、地方ならではの近所付き合いに戸惑いを覚えた。」と言う。

 “漁師の仕事は教わるものでなく、盗むものだ”と常々言われる。しかしそれを実行しようと思い先輩漁師の手元を見ていると、「何、さぼっているんだ」と怒鳴られる。また同じ状況で、同じ問題を解決せずに、いつも怒鳴りあっていることがある。適切な怒鳴りあいなら理解もできるが、ただ怒鳴っていれば自分の存在を示すことができると思い込んでいる漁師もいる。1から10まで教えて欲しいとは言わないが、最低限の情報、技術を教えたらもっと効率良く仕事ができると思うことがある。

 私たち全員、漁協の組合員となっている。ただ組合員になることの意味、意義が、十分に説明されず、ただ出資金を払っただけと感じている人もある。当然解っていることだろうと判断されたのかも知れないが、もう少し適切な説明が受けられたら良かった思う。

 漁業に従事して何度かは、やめたいと思ったことがある。大きな事故、怪我を目撃してしまった時、給料が労働力にあってないと思った時、先輩漁師から指示を受けた仕事をしていたにもかかわらず、他の先輩漁師から怒鳴られた時、船頭を目指したかったが、実際よそ者には、なれる機会が少ないと知った時などなど。しかし、まだ辞めていないと言うことは、それだけの魅力があると言うことである。

 漁師の魅力は、なんと言っても、漁師ならではの新鮮な魚を食べることができることである。漁が終わって、番屋で食べる刺身と漁師鍋は最高に美味しい。また仕事が午前中で終わるので、前の仕事と比べると自由な時間が多く取れ、家族との時間も増えた。のんびりと、自然に囲まれた地域で生活できる事は、幸せなことだと思う。さらに会社では複雑な人間関係で悩むことが多くあるが、漁師の間ではあまりない。船の上では、怒鳴りあいは日常茶飯事だが、漁が終わって陸にあがれば、何もなかったように、さっぱりしている。


4.波及効果
 Iターン者が徐々に増えていることで、新しく漁業をしてみたいと思っている人たちが入りやすい環境になってきている。見ず知らずの土地で、誰も先駆者がいない所に飛び込むのは、かなりの勇気が必要となる。その点、Iターンの先輩がいるということで、かなり心配が軽減される。

 またIターン者が増えたことで、地元の漁業者の間に理解が広がりつつある。今までは、決して旅の人を雇用しなかった漁業経営体が、Iターン者を雇用した。他の漁業経営体でも、雇用してみようと考えるようになってきている。

 さらに不定期ではあるが、Iターン者が集まり、それぞれの経験、問題などの情報交換を行っている。自称“旅の会”と言い、なごやかに行われている。この会では、お互いの技術レベルや仕事への姿勢に対してなどの意見交換がされるので、いろいろな点で刺激されたり、教えられたりすることが多い。


5.今後の課題
 Iターン者を募集・採用する上で、受け入れ側の環境整備が今後ますます必要になってくると思う。行政においては市営住宅の斡旋、安価な借家の提供、住居購入における補助支援があげられる。また生活で役立つ簡単な富山弁及び生活習慣の紹介冊子を作成し、県外出身者に配布して欲しい。さらに妻子に対する悩み相談、その後のフォローアップは必要不可欠なものである。

 漁業経営者側においては、社会保障の完備と年間休日の制度を確立してもらいたい。また県外から来た者の立場に立って指導、教育をして欲しい。少なくとも簡易な網の概略説明、作業の流れ、漁具等の説明をしていただけるとより効率的に働ける。

 就業して3〜4年も経つと今後の事を考え始める。一従業員でいるか、また独立して自分で漁業を営んでみるか悩むところである。独立して漁業を行うと決意をした際には、やはり“よそ者”“旅の人”の問題がでてくると思う。漁業権、地域関係が大きく影響してくると思える。その時に適切な情報と指導ができる体制を作っていってほしい。

 最後に漁業協同組合においては、適切な情報や資料提供の発信地になってもらいたい。聞けば答えると言う形式でなく、図書館、資料室といった機能も持ち、漁業に関する本や資料を多く保持してほしい。そして自由に出入りでき、漁業に関する資料を閲覧でき、今後の参考、勉強する場を作ってもらいたい。昨年から氷見市では、「氷見定置網トレーニングプログラム」が実施されており、その内の一つの事業として、コスタリカにおいて定置網の敷設、研修を行った。このようなプログラムにも十分対応できる簡易宿泊施設を備えた、研修センターを建設してもらいたい。そして国内、国外にも開かれた漁業を氷見市で実施し、ますます発展していく事を願っている。


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